[月の光] ー 教会の一夫人の証し
[月の光]
6月のある日のこと、家の中で嫌なことがあり、心がすさんでいました。
全く平安もなく、心は打ちひしがれて、一日が終わろうとしていました。寝る前に「ああ、神様のことなど思うこともなかった!!」ただ、みじめに「神様、ごめんなさい」という言葉しかありませんでした。
翌日、カベナンター書店での夕礼拝に出席し、8時半ごろ、帰宅しました。家に帰りついたとき、フェンスのところでふと、月明かりを感じ、空を見ました。 南の空に満月ではなく、半月ぐらいだったか、しかし、とてもきれいに感じ、しばし、眺めていました。
翌日の夜、コーラスの練習の帰りに、道々、友人と帰りながら、「昨日ね、とても月がきれいだったのよ。 ベートーベンやドビッシーもきっと、美しい月の光に魅せられて、あんなきれいな曲を書いたのでしょうね。」などと話し合いました。そして家に帰りつくと、またフェンスのところで美しい月明かりが・・・・。「まあ、今日もなの?」 そしてまた、空を見上げました。そして、その時気付いたのです。それは道路まで枝を伸ばしていたモッコウバラの陰でした。
「ああ、あなただったのね!!」思わず心の中で、つぶやきました。月の光がモッコウバラの大きく伸びた枝の陰を美しく映していました。「ああ、なんてきれいなの!!」 昨夜にまして、その美しさに、魅せられたひと時でした。
その翌日、3人のシルバーの人たちが来て、大きく二階の屋根までも伸びたモッコウバラの木を2時間ほどかけて伐って、5つの袋に入れました。いっぱい茂っていたモッコウバラが取り払われて、狭い庭が明るくなりました。
モッコウバラは最後に美しい姿を見せてくれたのね・・と感慨にふけりました。
そして、ああ!!同時にあのみ言葉が浮かんだのです。
「きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、良くしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。」(マタイ6;30)
三日前の落ち込んだ私への神様のお言葉を感じました。本当に感謝いたします。 (武庫之荘教会 女性信徒の証し)